神戸地方裁判所尼崎支部 昭和53年(ワ)682号
原告
岩永千富
右訴訟代理人弁護士
麻田光広
分銅一臣
丹治初彦
被告
社会福祉法人甲山福祉センター
右代表者理事
吉富長輔
右訴訟代理人弁護士
門間進
飯島久雄
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 原告が被告の従業員としての地位を有することを確認する。
2 被告は、原告に対し、
(一) 二六万七九八〇円及び昭和五三年一二月から本件口頭弁論終結日まで、毎月二七日限り、一三万三九九〇円宛を支払え。
(二) 五〇万円及びこれに対する昭和五三年一二月二三日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
3 訴訟費用は被告の負担とする。
4 仮執行の宣言(1項を除く)
二 請求の趣旨に対する答弁
主文と同旨
第二当事者の主張
一 請求原因
1 従業員の地位確認等
(一) 原告は、重症心身障害児施設砂子療育園(以下単に「園」ともいう)等の施設を経営する社会福祉法人である被告に、昭和四五年三月に保母見習として雇用され、右砂子療育園に勤務し、昭和四七年に保母資格取得以後は同園の保母として同園の北二階病棟(以下「北二病棟」という)に勤務していた。
(二) 原告の昭和五三年一〇月当時の給与は、月額一三万三九九〇円(本俸一二万五九九〇円と住宅手当八〇〇〇円)で、その支給日は毎月二七日である。
(三) 被告は、原告を昭和五三年一〇月一一日付で懲戒解雇したと称して、原告との雇用契約の存在を争っている。
2 損害賠償(名誉毀損)
(一) 行為
(1) 被告は、昭和五三年一一月ころ、砂子療育園の掲示板に、原告が被告の指示命令に不当に反抗し、園児の介護を任せられない旨の文書を掲示した。
(2) さらに原告が昭和五三年一一月二四日に神戸地方裁判所尼崎支部で従業員地位保全の仮処分決定(昭和五三年(ヨ)第三一〇号)を受けたにも拘らず、被告は原告を保母職員として扱わず、かつ就労要請に行っている原告に対し、被告の砂子療育園労務課長八田らが「泥棒みたいな真似をする」等といって、背中を突いて追い出そうとした。
(二) 責任
被告は、右(一)の(1)の掲示によって、原告の保母としての資質を公然と否定してその名誉を毀損し、かつ自らの原告に対する本件解雇処分が違法であることを認識し、もしくは、少くとも右仮処分決定の趣旨に反することを知りながら、敢えて右(一)の(2)の各行為をなしたものでいずれも違法な行為である。
したがって、被告は原告に対し、民法七〇九条に基づき、これによって生じた損害を賠償する責任がある。
(三) 損害
右一連の被告の行為によって、原告は多大の精神的苦痛を受けたので、その慰藉料は五〇万円を下らない。
3 よって、原告は、被告に対し、
(一) 原告が被告の従業員としての地位を有することの確認
(二) 本件解雇処分後未払となっている昭和五三年一〇月及び翌一一月分の給与合計二六万七九八〇円、さらに本訴を提起した同年一二月以降本件口頭弁論終結日までの間、毎月二七日限り、一三万三九九〇円宛の給与相当分の支払
(三) 慰藉料五〇万円及びこれに対する不法行為をなした日以降である昭和五三年一二月二三日(本訴状送達の翌日)から完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払
をそれぞれ求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1の事実のうち、(一)及び(三)の点は認める。
2 同2の事実はすべて否認する。
三 抗弁
1 被告は、昭和五三年一〇月一一日、原告に対し、就業規則六五条(6)号、(10)号に基づき懲戒解雇する旨の意思表示(以下「本件解雇」という)をし、その際、労働基準法二〇条に定める解雇予告手当として一か月分の給与を提供したが、その受領を拒否されたので、同月一三日神戸地方法務局西宮出張所に供託した。
2 右懲戒解雇の理由と経緯は次のとおりである。
《以下事実略》
理由
第一従業員の地位確認等請求
一 本件解雇に関する事実
請求原因1の(一)及び(三)の事実は、当事者間に争いがない。
また抗弁1の事実のうち、被告が昭和五三年一〇月一一日原告に対し、就業規則六五条(6)号及び(10)号に基づき懲戒解雇する旨の意思表示をしたことは、当事者間に争いがなく、(証拠略)によれば、被告は、本件解雇の意思表示をした際、原告に対し、その解雇予告手当として一か月分の給与相当額一三万二二〇四円を提供したところ、原告にその受領を拒否されたため、同月一二日神戸地方法務局西宮出張所に右金員を供託したことが認められる。
二 砂子療育園における勤務体制
前記争いのない事実の外、(証拠略)によれば、次の事実が認められ、これを覆えすに足りる証拠はない。
1 被告の経営する重症心身障害児施設砂子療育園には、その療育のための療育棟があり、重症の寝たきりの障害児を扱う南病棟、寝たきり或いは若干移動可能の障害児を扱う北一階病棟、さらに移動可能の障害児を扱う北二階病棟(北二病棟)に分れている。各病棟の介護職員(指導員、保母助手)は、昭和五三年四月当時、南病棟が三四人、北一病棟が三五人、北二病棟が三九人で、その外ナースが一五人という構成で、またその当時の北二病棟における園生は四三名であった。
2 病棟における勤務体制
(一) 園における重症心身障害児に対する療育をおこなうため、二四時間の介護体制を採り、介護職員の勤務時間は次のとおり変則三交替制となっていた。
イ 早出 午前八時から午後四時まで
ロ 日勤 午前九時から午後五時まで
ハ 宵勤 午後一時から午後九時まで
ニ 夜勤 午後五時から翌朝午前九時まで
(二) 右のとおり変則三交替制を採用していたため、各病棟における各職員に対する勤務割当は、被告において、その任命する管理職職員である各病棟主任に勤務割当の権限を与え、同主任が毎月の当番表を作成し、その当番表に従って各職員の勤務割当をなしていた。
(三) 午後五時以降の時間帯は右のとおり宵夜勤者が担当し、これに当る介護職員数は病棟毎に宵勤、夜勤とも三名宛で、時間的には午後九時までが六名、それ以降が三名となり、この外にナース一名が夜勤する。
午後九時の消灯園生就寝までは、六名の介護職員で病棟園生の更衣、おむつ交換、排泄、間食、洗面歯磨、就寝準備等の介護をする。午後九時以降は夜勤者三名で介護し、午後一〇時以降翌朝午前六時までの間三〇分毎に巡廻し、園生の容態確認やおしめの交換等の作業をし、この間にナースを含めて各自三時間の仮眠をとり、翌朝は午前七時から園生に朝食をとらせる作業を開始する。夜勤者は午前九時で勤務が終了し、その日は明け番となり、翌日の早出、日勤又は宵勤としての勤務につくことになっている。
3 砂子療育園の療育管理体制
砂子療育園では、園長から介護職員に至る指揮命令系統として、園長の下に総婦長、次いで指導課長を置き、その下に各病棟における管理職としての係長と主任が置かれていた。そして、各病棟においては、その主任を中心とし、療育方法の具体的な問題についての意思決定を行う療育会議が設けられ、これには日勤時間内に週一回開催される時間内療育会議と原則として月一回午後六時ころから開催される時間外療育会議とがある。時間外療育会議は病棟での最高意思決定機関であり、当日の宵夜勤勤務者を除く病棟職員全員が出席し、その出席者には被告から残業手当が支給されていた。
4 北二病棟の療育管理体制
(一) 北二病棟においては、昭和四九年頃から同病棟勤務の職員によって、自主的に病棟独自の療育体制を定め、職員を六グループに分け、各グループに園生を振り分けて介護するという「グループ担当制」を実施していたが、さらに昭和五一年に至り、当時滋賀県にある重症心身障害児施設「第二びわこ学園」でおこなわれていた管理職たる主任制を廃し職員集団による療育運営を目ざす「合議制」に倣ったいわゆる「合議制」という病棟職員による自主的運営方式が実施されるようになった。
(二) この「合議制」とは、園生中心の療育、創造的な療育を確立し、健全者と障害者の間の垣根を取払い、障害者の解放を目指すことを標榜し、そのために主任制による管理する者と管理される者との関係をなくし、病棟職員全員が平等の立場で一人一人が責任をもって運営する合議制によって病棟を運営しようとするもので、被告の本来の病棟管理体制である係長、主任制を排除し、病棟職員による自主的運営を行おうとするものであった。その運営方式は、前記「グループ担当制」における各グループを一単位とし、各グループごとにグループ内や病棟内での問題を討議するグループ会議を置き、その上部機関として、被告が設置していた前記時間外療育会議に相当する北二療育会議を置き、病棟全体にかかわる問題については、グループ会議で討議されたものを基礎にして、右北二療育会議において全体職員による討議決定が行われるものとし、同会議が同病棟の最高意思決定機関とされていた。この北二療育会議(時間外療育会議)の運営は、被告の管理体制による正規の療育会議が主任を中心に開催されるものであるのに対し、北二病棟の合議制によるそれは参加職員が平等の立場で合議し、意思決定をおこなうものとされていた。
(三) 北二病棟におけるこの「合議制」実施に伴い、病棟主任は辞表提出という形でその業務を事実上放棄し、これに代って各グループが連絡員と称する代表を一名宛選出し、この代表六名の合議で全ての主任業務を処理するようになり、前述のように本来主任業務の一つである毎月の勤務表作成も同様に処理されていた。そして、宵夜勤勤務については、代表者間で毎月一五日ころ翌月の宵夜勤をするグループを決め、その月の二〇日ころまでにその各グループ内で具体的な宵夜勤担当者を決定し、このようにして出来上った毎月の勤務表は、同病棟詰所に掲示発表されることになっていた。
(四) 砂子療育園には各病棟間連絡会議として管理職の行う主任会議があったが、その会議に、北二病棟からは、本来の主任ではなく、月当番のグループの職員の中でその都度選出された病棟代表者が出席していた。被告は、当初この代表者を受け入れなかったが、同病棟で、被告の定める主任制が事実上廃され、「合議制」が病棟職員によって実施されているため、後には園からの指示伝達等の必要上やむなく病棟代表者を主任代理ということにして、その主任会議出席を容認するようになった。
三 病棟職員の腰痛症問題
前記争いのない事実の外、(証拠略)によれば、次の事実が認められ、これを覆えすに足りる証拠はない。
1 砂子療育園においては、昭和四六年から職員の腰痛症が発生し、以後年々多発するようになった。
この腰痛問題につき、昭和四六年一二月二七日付で、被告(当時は社会福祉法人仁明会)と職員で組織していた日社労(当時は日本社会福祉事業職員組合兵庫支部仁明会分会)との間で、職員の腰痛治療の通院時間を出勤扱いとする合意をなし、それ以降右合意に基づいて、被告は日勤勤務時間中の病院への通院を認め、各病棟で実行されてきた。
2 更に、北二病棟においては、職員の腰痛症が多発したころから、同病棟職員の間で、同病棟独自の腰痛対策として、同病棟には従来から腰痛通院治療者は宵夜勤に従事しなくてもよいという慣行があったと称し、その慣行を理由に、腰痛通院治療者を変則勤務(宵夜勤勤務)からはずし、日勤勤務のみとすることを実行していた。しかしながら、これは被告の認めていたものではなく、そのような慣行も存在せず、また他の病棟においてもそのようなことはなされておらず、北二病棟のみで行われていたことであった。
(なお、この点について、原告は北二病棟において通院治療者が宵夜勤につかないとの慣行があったと主張し、これに沿う<証拠略>があるが、いずれも単にそのような慣行があると職員同士で思っていたに過ぎず、それだけではそのような慣行が確立していたと認めるには不十分であり、他にこれを首肯するに足りる証拠もないから、北二病棟にそのような慣行があったものと認めることはできない。)
3 被告は昭和五三年三月から四月にかけて腰痛検診を園職員に対し実施したが、その結果、園全体としては、受診者一一三名のうち、異常なし四五名、要注意四四名、要治療二四名であったが、北二病棟では、受診者二九名のうち、異常なし六名、要注意一〇名、要治療一三名であった。同病棟職員で既に腰痛で休業中の者四名、通院治療中の者五名で、今回の検診で新たに要治療者となった者一三名を加えると、同病棟総員三九名中要治療者が実に二二名となり、他の職場よりも高率な腰痛症の発生となった。
4 北二病棟においては、同年四月二〇日の時間外療育会議で、腰痛検診の結果に基づく対策を協議し、検診で要治療と判定された者は五月中に病院で診察を受け治療内容や通院方法等を具体的に確認すること、要注意と判定された者はしばらく様子をみて六月中に病院で診察を受けることを決めた。さらに、このままの状態では宵夜勤の勤務表を組むことができなくなるので、園に対して職員増員の要求をすることとした。この会議の結果を受けて、同月二四日、北二病棟として園に対し、増員要求に関する要望書を提出し、五月一日までに園の回答を要求した。
四 北二病棟における宵夜勤拒否闘争
前記争いのない事実の外、(証拠略)を併せれば、次の事実が認められ、これを覆えすに足りる証拠はない。
1 砂子療育園における労働組合としては、もともと日社労のみがあったところ、園移転問題に関する日社労の闘争方針に反対する一部組合員が脱退し、昭和五三年二月ころに、北二病棟職員を主体とする兵福労を結成するに至った。北二病棟職員の多くは兵福労の結成に参画し、その組合員となり、同病棟職員の菅四郎が委員長、同じく河嶋良男が書記長に就任した。この結果、兵福労と北二病棟は、対園方針につき同一歩調をとっていた。
原告は兵福労の組合員ではなかったが、兵福労の闘争方針に同調し、同一行動をとっていた。
2
(一) 兵福労は、昭和五三年四月、被告に対し、春闘の一環として、ベースアップ問題の外に、職員増員要求をし、うち北二病棟については一七人の増員を要求したが、さらに腰痛検診の結果に基づき増員要求を見直し、同年五月二日被告に、増員数をより多くし、北二病棟については三二人の増員を要求する要求書を提出した。増員問題につき、兵福労と被告との間で団体交渉がなされた結果、同月四日、北二病棟については正職員一二人を五月中に新規採用することを確認した。もっとも被告は当初代替職員一二人採用の方針で交渉に臨んだが、兵福労の強い反対で右確認をするに至った。そこで、被告は右確認事項を持り帰り、再度協議したところ、代替職員での増員でなければ財政上困難であるとの結論に至り、確認事項の撤回を求めるため、同月一一日に兵福労と団体交渉を行った。席上被告は、正職員の採用が困難であり、代替職員で人員補充したいとしたが、兵福労は五月四日の確認書に基づく正職員一二名の採用を主張して譲らず、遂には正職員採用の要求が受け入れられなければ、いままで通院しながら勤務を続けていた者も含めて出勤しない、北二病棟の慣行に従って、腰痛検診の要治療者は明日から宵夜勤に就かせない旨通告した。そのため、被告もやむを得ず、要治療者が宵夜勤を拒否する分は管理職や父兄を動員して補充するので、治療に専念してもらいたい旨の回答をし、翌一二日、理事長名で職員に対し、「先の検診結果において、腰痛、頸腕で要治療の診断が出た職員があったが、これ等の職員については治療に専念して早く職場に復帰して下さい。この事態について、園当局及び理事者は管理職員等を動員して最大限対処するが、一方父兄にも協力をお願いし、園児の療育に遺憾のないようにしたい。」との告示をなし、さらに同日「五月一一日の兵福労組との団交において、今回検診で要治療と診断された組合員は休業のうえ治療したい旨の強い要望があったことに関連して決定したものであるので、認知されたい」という告知も掲示した。
(二) このようにして、兵福労は宵夜勤拒否闘争を実行し、要治療者が宵夜勤に就かなくなったため、北二病棟では宵夜勤に従事する職員が数名程度になってしまったので、同日から管理職及び父兄が代りに病棟に入り、園生の介護についたところ、宵夜勤にあたる時間中に、治療に専念すべき腰痛治療職員が病棟にきて、介護援助に入った管理職や父兄に対し介護の指揮監督をしたりするので、これを見た父兄等から非難不満がでた。そのため、被告は翌一三日になって、前日掲示した右告示を撤回した。
(三) 北二病棟においては、同月九日の臨時時間外療育会議で、先に兵福労と被告との間の団体交渉で確認した正職員一二名の五月中採用方針に基づき、同病棟としての今後の対策を検討したが、この増員ではまだ不充分であり、被告や父兄に危機感がないので、父兄に介護の応援方を依頼し、場合によっては園生全員の一時帰省の措置をとる必要があるとの結論に至った。
その後同月一一日になって兵福労と被告との団体交渉が前記のとおり決裂し、兵福労が要治療者の宵夜勤拒否闘争に突入したので、北二病棟職員も兵福労の闘争に呼応し、四月二〇日の療育会議の方針に従って要治療者全員の病院での診察を早期に実行し、かつ要治療者を宵夜勤からはずして日勤のみの就業とし、その勤務時間帯に通院させることにした。そこで、腰痛検診で要治療と診断された北二病棟職員のうち、原告、磯野由美子、河嶋良男、菅四郎及び山田佑子の五名は、同月一二日から一七日までの間に、兵庫県勤労者医療生活協同組合東灘診療所(以下「東灘診療所」という)の後藤等医師の診察を受け、頸肩腕障害、腰痛症で週二回ないし三回程度(河嶋は当分の間)の通院治療を要する旨の診断書の発付を受けたうえ、この診断書に基づき、通院治療者は宵夜勤からはずれるという慣行があることを理由に、宵夜勤の勤務につかなくなった。
(四) さらに北二病棟では、合議制を採用して以来勤務表を前述のような方法で職員間で独自に作成してきたが、右宵夜勤拒否闘争のもとで、前記慣行を理由に通院治療者を宵夜勤からはずし、その分の宵夜勤者の補充は被告においてすべきであるとの方針で、昭和五三年六月分の勤務予定表を作成したところ、この方法では同月二〇日までの勤務しか組めず、二一日以降は不可能であるとし、職員の勤務割当をせず、勤務表作成を放棄した。
(五) 右のような腰痛症職員の休業と要治療者の宵夜勤拒否闘争で、北二病棟の療育運営ができなくなる非常事態となったので、被告は園生父兄に対し同病棟の介護援助を依頼し、この結果園生父兄が五月一二日から療育介護の応援に従事していたが、同病棟の事態が一向に改善される兆しがなく、かつ要治療者で宵夜勤ができないといっている一部職員が闘争のため園玄関口に座り込んだり、夜間テント内で泊り込みしている状況を見て、応援の父兄の間に不満が募り、同月二六日、「父母の会」会長名で、被告及び職員に対し、被告が当面の危機を打開するための具体的方策を六月三日までに示し、この回答次第によっては父兄の応援を六月一二日以降中止する旨の声明書を出すに至った。
また、被告の園における右のような事態を重く見た兵庫県の民生部長名で、同年六月一日付「砂子療育園運営の正常化について」と題する書面を被告に送付して、当面する非常事態に対し、関係者間の常時意思の疎通と相互の信頼を得るように努め、かつ責任分野と命令系統を明確にし、かつ行動し、いやしくも専断的運営又は責任回避的行動は厳に慎しむよう努力し、就業規則を始め各規則を遵守し、節度ある適確な処理を進めること等の要望を内容とする行政指導を行うに至った。
(六) 被告は、父母の会の応援打切り声明や、県の厳しい行政指導のもとで苦慮し、この非常事態を乗り切り、園運営の正常化をはかるため、厳正な態度で臨むこととし、同年六月一〇日、園長名で全職員に対し、「腰痛の要治療者であって、医師の診断により治療中の職員で早出、宵勤、夜勤等の勤務が治療上不可能であると診断された以外は、就業規則に基づく勤務をされたい。したがって治療上早出、宵勤、夜勤等の勤務不可能の方は、その旨を記載した医師の診断書を提出してください」との公示をした。
これに対して、北二病棟及び兵福労は、同病棟における要治療者ないし通院治療者は宵夜勤から当然にはずれるという慣行を被告が一方的に破るものであるとして反撥し、それまで通院治療だけの診断書しか提出していなかった原告を含む要治療者は、右公示に基づく変則勤務不可能の診断書を提出しなかった。
(七) そこで同月一四日、被告は、理事長と園長連名で、職員に対し、「砂子療育園の事態に対処するため、腰痛のため通院加療と診断された者であって、宵夜勤に就労していない者に対しては業務命令により就労させる。この業務命令に違反する者は処分もあり得る。六月二〇日以降当分の間、北二病棟の勤務表作成は園長の管理の下で行う」旨の公示を行なうと共に、同日付で、北二病棟の職員で通院治療の診断書しか提出されていない原告に対し同月一九日の宵勤、磯野由美子に対し一八日の宵勤と一九日の夜勤、河嶋良男に対し一八日の夜勤と二〇日の宵勤、山田佑子に対し一七日の夜勤と二〇日の宵勤、菅四郎に対し一九日の宵勤、さらに渡辺艶子(同人は検診の結果要注意者で、東灘診療所発行の六月五日付診断書(頸肩腕障害、腰痛症で週二回程度の通院治療必要)を、そのころ被告に提出している)に対し、一七日の宵勤、二〇日の夜勤にそれぞれ就労すべき業務命令を発した。
(八) これに対して、同月一六日、右業務命令を受けた原告ら六名は園長に抗議すると共に、同日夜北二病棟職員による臨時時間外療育会議を開き、善後策を検討した結果、通院治療者が宵夜勤につかないのが同病棟の慣行であるので、被告の業務命令に従うことができないし、さらにこのままでは同病棟職員として勤務に責任を持てず、園生の療育を継続するのが不可能であるとして、この緊急事態を打開するため現在の代替職員一〇名を正職員とし、さらに必要な人員増を被告に要求することにした。そして、この趣旨を内容とする同日付北二病棟職員一同名義の決議文を被告に提出した。
さらに、磯野、菅、河嶋、渡辺は同日、原告は同月一九日に、それぞれ東灘診療所の後藤医師から、被告の六月一〇日の公示に沿う「宵夜勤は従事困難である」旨の診断書の発付を受けた。
(九) 右のような北二病棟療育会議の方針に従って、原告ら六名は、被告の同月一四日付の前記宵夜勤就労の業務命令を拒否して就労せず、そのため北二病棟の勤務体制は混乱を来たした。そこで被告は、懲戒委員会の答申に従って、同月二四日、業務命令拒否を理由として原告ら六名に対し、就業規則六三条(1)号による譴責の懲戒処分をなし、同号に定める始末書を同月三〇日までに提出することを命じた。
(一〇) 被告は、その後更に、宵夜勤の就労を拒否した前記六名のうち、山田を除く原告ら五名(山田は同月三〇日に退職)に対し、引き続き数次に亘り宵夜勤就業の業務命令を発したが、原告ら五名はいずれもその業務命令に基づく就労を拒否した。そこで被告は、原告らを重ねて懲戒に付することとし、懲戒委員会の答申に基づいて、原告らの業務命令拒否は就業規則六五条(6)号(業務命令に不当に反抗し、職場の秩序を乱したとき)の懲戒解雇事由に当るものではあるが、同条但書(但し、情状によっては出勤停止に止めることがある)を適用することとし、同年七月一二日、右五名のうち渡辺を除く原告ら四名については出勤停止一四日間(七月一四日から二七日まで)、渡辺については既に休業に入っていることを考慮し出勤停止七日間とする各懲戒処分をなした。
(一一) これに対し兵福労及び北二病棟は、被告の出勤停止処分に対抗して就労闘争を展開し始めたが、被告側の厳しい態度、父母の会からの闘争批判、日社労からの非難、さらに闘争中の北二病棟職員の被告側に対する暴行事件等が起り、また闘争側内部における意見の対立が生じ、その組織及び統制が乱れ、その結果、兵福労の菅砂子療育園委員長及び河嶋同書記長は、同年七月一五日園における闘争を一方的に中止し、その後両名とも兵福労を脱退した。
(一二) 同年八月一日、被告は、園長名で、北二病棟職員に対し、「北二階病棟を運営するうえでの基本方針を公示する」と題し、同日付で同病棟に主任、係長を置き病棟運営を刷新した、これまで北二病棟職員の間で方針としてきた「北二階療育方針」は廃止し認めない、これまで行なわれてきた「北二階合議制」は認めない、同月中に北二病棟詰所を改造し、備品等をそなえ本来の姿にもどす、詰所は園児(者)の生活の場所とせず、入室させない、勤務時間外はもちろん時間内でも散歩等と称して園児(者)をつれ、みだりに飲食店等への出入りを行なわないこと、園児(者)の生活時間を守り、園児(者)を指導すること、という新たな基本方針を示す公示をなした。
(一三) 以上のように、腰痛問題に端を発した北二病棟の勤務上の混乱は、兵福労の闘争中止や、被告の右公示に基づく同病棟の管理、療育方針の浸透により、徐々に収拾に向い、その後終息するに至った。
五 本件解雇に至る経過
前記争いのない事実、前記三及び四で認定した事実、そのほか(証拠略)によれば、次の事実が認められ、原告本人尋問の結果(第一回)中これに反する部分は俄かに措信し難く、他にこれを覆えすに足りる証拠はない。
1 原告は、昭和四五年三月から同園の南病棟で保母見習として勤務し、北二病棟が開設された同年五月以降、同病棟で本件解雇時まで勤務し、昭和四七年に保母資格を取得してからは同病棟保母となった。また昭和五一年から北二病棟で前述の「合議制」が行なわれたが、原告はこれを支持同調していた。
2 原告は、昭和五三年三月に実施された腰痛検診で、要治療と診断されたが、兵福労と北二病棟が、前述のように昭和五三年五月一二日以降、通院治療者が宵夜勤を拒否する闘争を展開していたので、原告も北二病棟の療育会議で決定した前記方針に従って、団体交渉の決裂した翌日の五月一二日に、東灘診療所の後藤等医師の診断を受け、頸肩腕障害、腰痛症で週三回程度の通院治療を要する旨の診断書をえて、同日から腰痛通院治療者となり、宵夜勤勤務から離脱し、日勤のみの勤務に就いていた(なお原告の右診断書は同月二四日に被告に提出されている)。
3 前記四の2の(六)記載のとおり、被告は、同年六月一〇日に、治療上宵夜勤不可能な職員はその旨の診断書を提出すること、それ以外の腰痛要治療職員は就業規則に従って就業すること等を指示する公示をなしたが、原告は被告の右公示内容が従来の北二病棟における慣行に反する不当なものであると考え、同病棟の方針に従って、これを無視し、変則勤務を免れるために提出すべき宵夜勤不可能の診断書を提出しようとはしなかった。そのため、前記四の2の(七)記載のように、同月一四日、被告は原告に対し、同月一九日の宵勤を命ずる業務命令をだしたが、原告は、同様に業務命令を受けた他の北二病棟職員五名らと共に、同月一六日上村園長に対して、北二病棟の従来からの慣行を無視し、個々の症状を聞かずに一方的に命令をだすことは不当であると抗議したうえ、これをあくまで不当な業務命令であるとし、宵勤に指定された一九日は勝手に日勤につき、同日の宵勤勤務はこれを拒否して就労しなかった。なお、原告は、同日、東灘診療所の後藤医師から、宵夜勤に従事困難である旨の診断書の作成を受け、当日その診断書を浦島労務課長に示したものの、北二病棟の闘争方針に従って、結局のところ右診断書を被告に提出しなかった。
4 そこで被告は、前記四の2の(九)記載のとおり、同月二四日に、一九日宵勤就業の業務命令違反を理由として、原告に対し、就業規則六三条(1)号に基づき譴責の懲戒処分をなし、併せて同号に定める始末書を同月三〇日までに提出することを命じたが、原告はこれを不当な処分であるとし、始末書も提出せず、あくまで日勤のみに従事し続けた。
5 さらに引続いて被告は、原告に対し、六月二三日夜勤、同月二八日夜勤、七月二日夜勤、同月五日宵勤、同月七日夜勤の各業務命令を発したが、原告は右各命令に基づく就労をいずれも拒否したので、前記四の2の(一〇)記載のとおり、被告は、同年七月一二日、懲戒委員会の答申を経て、原告の就労拒否の業務命令違反が就業規則六五条(6)号(業務命令に不当に反抗し、職場の秩序をみだしたとき)に定める事由に当り、懲戒解雇に相当すると判断したうえ、同条但書(情状によっては出勤停止に止めることがある)を適用して、原告を出勤停止一四日間(七月一四日から二七日まで)の懲戒処分をなし、併せて右期間中の謹慎を命じた。
6 ところが、原告はその出勤停止中であるにも拘らず、これを無視して、兵福労の就労闘争に同調し、処分の不当性を訴えるため、同月一四日北二病棟において日勤業務をなし、更に翌一五日以降も同病棟勤務につこうとしたが、被告側職員によって入園を阻止され、玄関で追い返されるという事態が繰り返された。
7 その後前述のような経緯で、兵福労の闘争中止にともない、徐々に北二病棟の勤務の混乱が解消してきたので、被告は、同月一九日、原告に対し、それまでの各懲戒処分の対象となった業務命令違反や出勤停止命令違反の行為についての反省文を添付した謝罪文書を同月二七日(同日は出勤停止期間の最終日にあたる)に提出することを命じた。
これに対して、原告は、指示された同月二七日に、被告に対し、被告の要求した趣旨とは全く異なる内容の、もっぱら自己の健康状態や自己の一連の行動経過及びその正当性を主張した書面(<証拠略>)を提出した。そのため被告は、同年八月一日を期して北二病棟の合議制を廃し、自らの管理下で療育運営の正常化を遂行するつもりでいるのに、このような原告の態度では今後の病棟勤務に困難が生じると判断し、塩郷専務理事から原告に対し、その提出書面が被告の要求した反省文の体をなしていないこと、この態度のままでは就労させることができない旨を告げて、同日ただちに、北二病棟勤務から事務部付に配置転換を命じ、併せて休業を命ずる旨の辞令を交付した。なお、この休業命令は就業規則に定めのあるものではないが、右のような原告の反省のない態度に対し、その偏狭な心を改め、再度反省する機会を与える意味で、有給扱いのまま自宅待機を命ずることにしたものであった。
8 被告は、同年八月一日、前記四の2の(一二)記載のとおり、全職員に対し新たな療育体制の基本方針を発表すると共に、原告に対し、再度謝罪文の提出を要求した。これに対して原告は、同月四日に書面(<証拠略>)を提出したが、これも前回同様原告の自己主張を記述するばかりであって、自己の行為を反省する趣旨の記載は見られなかった。更に、原告は、同月下旬にも提出を命じられて、同年九月四日に、同様の書面(<証拠略>)を提出したが、これも自己の正当性を主張するだけのものであった。
9 さらに被告は、同年九月二〇日、原告を職場復帰させることができるか否かの判断をするため、北二病棟の新たな療育体制下における服務規律に関する原告の考え方をたしかめるべく、アンケート形式の質問表を作成し、原告に対しその回答を求めた。しかし、同月二六日付で提出されたその質問表に対する原告の回答書(<証拠略>)の内容は、新たな療育体制における療育方針については、北二病棟の職員や兵福労がこれを認めるなら自分も従う、病棟の全職員の討議されたものかどうかききたい、被告や園の指示命令に対してはそれが合法的であれば従う、それまで自己になされた懲戒処分は不当であるなど、要するに従来の「合議制」をあくまで正当なものとし、それを廃しようとする被告の方針を批判し、被告の指揮命令よりも病棟職員全体の意思の方を尊重する態度を表明する内容のものであった。
10 被告は、右のような回答を見て、質問の意味を原告が充分に理解していないのではないかと危惧し、同月二九日原告に来園を求め、永山生活指導課長、北二病棟の左雲主任、同浜辺係長の三人をして面接させ、北二病棟における新たな療育方針や質問表の各設問の具体的な意味を説明し、あらためてその回答を求めた。しかしながら、これに対する原告の答えは、主任制を廃して合議制を採用したのが北二病棟職員による討議決定したことによるものであるから、新たな療育方針についても同病棟職員の承諾がなければ認められない等相変らず自己主張を述べることに終始し、従来の原告の態度から一歩もでなかった。
11 そこで被告は、原告に対する最終的処分を決するため、念のため、同年一〇月三日に、原告に対し、口頭で、先に七月一九日に命じた反省文の提出を再度求めた。これに対して、原告は同月五日に同様の書面(<証拠略>)を提出したが、これも自己の正当性を主張する内容のものであることに変りはなかった。
12 以上のように、被告は、原告に対し、職員としての心構えや従来の態度及び行為につき幾度となく反省の機会を与えてきたにもかかわらず、原告は自己の主張を繰り返すばかりで一向にその態度をあらためようとしないため、もはやこれ以上職員として就労させることができないと判断し、同年一〇月九日に開催された懲戒委員会(構成委員は常務理事、園長、副園長、看護課長、参事の五名)で原告の懲戒について審議した結果、委員のうち園長が配置転換の意見を述べただけで、他の四名が就業規則六五条(6)号、(10)号による懲戒解雇の意見であったので、委員会として原告の懲戒解雇相当の答申をすることを決定し、翌一〇日被告に対し、その旨の答申をなした。そこで被告は、この答申を受けて、同月一一日、原告に対し、就業規則六五条(6)号、(10)号の事由があるとして懲戒解雇をなした。
六 原告の腰痛症等の症状について
1 前に認定したとおり、原告は昭和五三年三月に実施された腰痛検診において要治療と診断され、同年五月一二日に東灘診療所の後藤医師の診察を受け、頸肩腕障害、腰痛症と診断され、それ以降通院治療を受けていたものである。
その診断内容は、昭和五三年五月一二日付後藤医師作成の診断書(<証拠略>、以下「五月一二日付診断書」という)の記載によると、「上記疾病により今後当分の間物理療法、東洋医学療法を中心に週三回程度の通院治療を要するものと診断します。なお重量物の取り扱い、患者の運搬等、腰部、上腕等に負担のかかる業務は可能な限り制限する必要を認めます」となっており、同年六月一九日付同医師作成の診断書(<証拠略>、以下「六月一九日付診断書」という)の記載によると、「上記疾病により通院治療を行っていますが、夜勤宵勤に関しては従事困難であると診断します」というものであった。
ところで、原告は、被告が原告に対してなした同年六月一九日を始めとする宵夜勤の業務命令の当時、右診断書のとおり宵夜勤業務に就労することが不可能な身体的状態であった旨主張するので、以下検討する。
2 前記争いのない事実の外、(証拠略)によれば、原告は、昭和四七年一二月一三日、頸肩腕障害、腰痛症により労働者災害補償保険法に基づく業務上傷害の認定(初発)を受けたこと、その後被告が実施した腰痛定期検診で、原告は昭和五〇年一〇月、昭和五二年三月、昭和五三年三月の三回に亘り、要治療と診断されたこと、原告は右昭和五三年三月の検診結果により更に同年五月一二日東灘診療所で診察を受けて頸肩腕障害、腰痛症で週三回通院治療要と診断され、同年一二月一九日に西宮労働基準監督署長より労災保険の傷病再発認定を受けたことが認められる。
右認定した事実に、(証拠略)を併せれば、被告が本件宵夜勤の就労命令を発した当時、原告は従前からの頸肩腕障害、腰痛症の疾病が、その程度は別として、再発し通院治療を要する症状であったものと認めることができる。
3 (証拠略)によれば、原告の前記頸肩腕障害、腰痛症初発以来、原告は神戸健康共和会東神戸病院に昭和四八年一〇月一五日まで通院し治療を受け、その後は鍼、マッサージ、指圧等を続けていただけで、通院治療はしていなかったこと、また昭和五〇年、昭和五二年の腰痛検診において、原告が二度に亘り要治療と診断されたものの、そのため特に病院で診察を受け治療することはなかったこと、原告は昭和五三年三月に実施された腰痛検診でも要治療と診断され、同年五月一二日から東灘診療所に通院して治療を受けたが、原告に一九日宵勤の就労命令がだされた六月一四日までの間の通院回数は、五月二二日、六月一二日と僅か二回に過ぎず、そのあとの六月一九日になってはじめて前記宵夜勤従事困難の六月一九日付診断書を受けたものであること、また同年七月一二日に原告が出勤停止の懲戒処分を受けるまでの間における通院回数は、六月一九日、二四日、二六日、二九日、七月六日、八日、一〇日の七回であったことが認められる。
4 前記争いのない事実の外、(証拠略)によれば、原告は腰痛症が初発したころから昭和四九年まで、半日勤務や日勤のみという形で就労していたが、それ以降昭和五三年五月一二日までの間、北二病棟において宵夜勤を含む変則三交替制に従って勤務していたこと、原告は右五月一二日に腰痛症等で週三回程度の通院治療を要するとの診断を受け、それ以降出勤停止の処分を受けた七月一二日までの間、宵夜勤に従事せずに日勤のみの勤務を継続していたが、その間も北二病棟で午後五時から開催される時間外療育会議には出席しており、同年三月から同年六月までの出席状況は、三月一一日午後一一時まで、同月二〇日午後八時二〇分まで、同月二九日午後九時まで、四月二〇日午後九時四〇分まで、同月二六日午後六時四五分まで、五月二〇日午後八時四〇分まで、六月一〇日午後一〇時五〇分まで、同月二〇日午後九時五分まで、同月二三日午後九後三〇分まで各出席していたことが認められる。
5 さらに、前記認定事実のほか、(証拠略)によると、原告と同様に兵福労の右闘争に参加し、東灘診療所から要通院治療、宵夜勤従事困難の診断書の交付を受けて、宵夜勤を拒否し、原告とともに同年五月一二日に出勤停止処分を受けた菅四郎、河嶋良男及び磯野由美子の三名は、その後兵福労による右闘争から離脱し、あるいは兵福労から脱退していったが、そうなったあとすぐに、いずれも東灘診療所から宵夜勤従事可能の診断書を受けていることが認められる。
6 以上の事実に、前記四の2の(一)ないし(三)で認定した事実を併せ考えれば、原告は、治療の必要からというよりは、むしろ前述の宵夜勤拒否闘争の一環として、東灘診療所で診察を受け、所要の診断書をえていたものと推認しうるところである。
7 ところで、(証拠略)には、後藤医師が原告を診察した当時、原告は休業すべき症状で、宵夜勤の変則業務に従事することが困難であったという趣旨のことが見られるが、右証言からしても、一般的、医学的見地から予防上休業が望ましい程度のものであり、また、同医師のこの種の疾病に対する考え方には独自のものがあって、ただちに首肯し得るものではなく、その所見は俄かに措信し難い。
また、(証拠略)によると、原告は、昭和五三年七月二一日付で大津市民病院において、頸肩腕症候群、両肩関節周囲炎、腰椎々間板症で、当分の間変則勤務を禁じるとの診断を受けているが、これだけでは原告の主張を肯認しえるものではない。
8 右各認定した事実を綜合して判断すると、被告が就労命令による昭和五三年六月一九日を始めとする宵夜勤業務を命じた当時、原告は腰痛症等で通院治療を要する症状ではあったが、宵夜勤勤務に従事できない程の症状であったということはできない。
七 本件懲戒解雇の当否
以上認定説示してきた事実関係に従って、原告に本件懲戒解雇事由に該当する所為があったか否かについて、以下検討を加える。
1 本件解雇前の懲戒処分の当否
(一) 六月二四日付譴責処分
(1) 被告が、昭和五三年六月一四日付で原告に対してなした同月一九日宵勤に就労すべき業務命令を原告が拒否して就労しなかったことを理由として、同月二四日、原告に対し、就業規則六三条(1)号に基づく譴責の懲戒処分をなしたことは、前記認定のとおりである。
(2) 当時原告は、腰痛症による通院治療を要する状態であったが、宵夜勤に就労できない程の症状でなかったことは、前に認定したとおりである。
ところで、原告は、北二病棟においては腰痛通院治療職員は宵夜勤に従事しないとする慣行があり、被告の原告に対する宵勤の就労命令はこの慣行に反し違法のものであると主張する。
原告主張のような勤務の取扱いが北二病棟において従来からおこなわれてきたことは前述のとおりであるが、これは被告が公認したものではなく、また他の病棟では行なわれていない北二病棟独自のもので、同病棟職員が自分たちだけで事実上勝手に行なってきたに過ぎないものであることは既に認定したとおりである。
もっとも、被告がこのような勤務方法が北二病棟で事実上行なわれていたことを了知していながら、前述の宵夜勤闘争がはじまるまで格別これをあらためるための措置をとることなく黙認していたことが認められるが、そのことをもって、ただちに、それが被告が遵守すべき規範としての意味での慣行となっていたものとまでは認められない。従って、右慣行の存在は宵勤を拒否すべき正当な理由とは認められないし、被告の業務命令を違法とすることもできない。
(3) また原告は、被告が原告に具体的な症状を事前に確認することなく、宵勤の就労命令を発したのは違法であると主張する。
被告が原告にその症状の程度を事前に聞くことをしなかったことは、その主張のとおりであるが、前記認定のとおり、右命令を発した四日前の六月一〇日、被告が全職員に対し、「通院治療中で宵夜勤不可能な者はその旨の医師の診断書を提出すること、それ以外の者は就業規則に従って勤務すること」を告示していたにも拘らず、原告が敢えてこれを無視して、それに従って診断書を提出しようとしなかったものであり、このことからすれば、被告が事前に直接原告から症状を確認する手続をとらなくても、右業務命令が違法となるものではない。
(4) 以上によれば、原告は、被告の正当な宵勤の業務命令に対し、宵勤に就労可能な状態であるにも拘らず、この命令を理由なく拒否したものであるといわざるをえない。
したがって、被告が、原告の右業務命令拒否の行為を職場規律違反の懲戒事由に該当するものとして、これを理由に就業規則六三条(1)号の譴責の懲戒処分をなしたことは、右処分に至るまでの前記認定のような経緯と諸般の情況に照らし、相当であると認められる。
(二) 七月一二日付出勤停止処分
(1) 被告は、更に引き続いて、原告に対し、同年六月二三日夜勤、二八日夜勤、同年七月二日夜勤、同月五日宵勤、同月七日夜勤を命ずる各業務命令を発したが、原告がその業務命令を全て拒否して就労しなかったため、同月一二日就業規則六五条(6)号「業務命令に不当に反抗し、職場の秩序をみだしたとき」の懲戒解雇事由に該当するとしたうえ、同条但書「情状によっては出勤停止に止めることがある」を適用して、出勤停止一四日間の懲戒処分をなしたことは、前記認定のとおりである。
(2) 右各業務命令に対しても、原告においてこれを拒否すべき正当な理由がないことは右(一)の六月二四日付譴責処分の項で述べたとおりであり、それにも拘らず、敢えてこれを拒否することによって、職場の秩序を乱し、自己ないし北二病棟の要求をあくまで貫徹しようとしたものであり、しかもすでに右(一)項の譴責処分を受けながら、なおかつ就労拒否を四回も重ねたものである以上、被告がこれらの原告の行為が就業規則六五条(6)号の懲戒解雇事由に該当するとしたうえで、その但書を適用して、原告に対し出勤停止一四日間の懲戒処分をなしたのは不当とはいえない。
2 本件解雇処分の当否
(一) 被告は、昭和五三年一〇月一一日、原告を、就業規則六五条(6)号「業務命令に不当に反抗し、職場の秩序をみだしたとき」及び同条(10)号「懲戒が二回以上に及びなお改悛の見込がないとき」にあたるものとして懲戒解雇処分にしたことは、前記認定のとおりである。
ところで、本件解雇の理由は、(証拠略)によれば、左のとおりである。
(イ) 原告が昭和五三年六月一四日、同月二四日、同年七月一日、同月一九日、同年八月一日、同年九月四日及び同月二〇日の各業務命令に不当に反抗した。
(ロ) この間反省の機会を与えるため同年七月二七日休業を命じた。
(ハ) さらに正常化しつつある園の現状、特に北二病棟の療育基本姿勢、日々の療育のあり方等について病棟責任者より克明に反省と協力を求めた。
(ニ) 以上のように十分な機会を与えたうえ、同年一〇月三日に、前記七月一九日の業務命令を履行するよう命じたところであるが、今もって反抗し続け、全く改悛の見込がない。
そこで、以下右解雇理由について、その適否を検討する。
(二) 就業規則六五条(6)号の事由
(1) 被告が同号の事由にあたるとしているのは、右に挙示した理由のうちの(イ)及び(ニ)であると考えられるが、その(イ)掲記の各業務命令のうち、六月一四日及び七月一日の分は、六月一九日、二三日、二八日、七月二日、五日、七日の各宵夜勤命令のことであり、また、六月二四日の分は同日付譴責の懲戒処分の中に記載された始末書の提出命令、七月一九日、八月一日、九月四日の分はいずれも謝罪文ないし反省文の提出命令で、同月二〇日の分は前記五の9記載の被告の新療育体制等に関する質問表に対する回答を求める命令であり、またその(ニ)の一〇月三日の分は七月一九日の謝罪文についての再度の提出命令であることは明らかである。
(2) ところで、右のうち宵夜勤命令違反については、前述のとおり、原告は同年六月二四日に譴責の、同年七月一二日に出勤停止一四日間の、各懲戒処分を既に受けているものであり、これを重ねて本件解雇における解雇事由として取り上げることは、一事不再理の原則の趣旨に照らして許されないものと解するのが相当である。したがって、右各宵夜勤命令を拒否したことは、それを次の懲戒処分をなすについての情状の一つとして考慮することはできても、新たな懲戒処分をなすべき直接の事由とすることはできないから、このことは本件懲戒解雇事由とはなり得ないものといわなければならない。
(3) 次に、始末書や反省文不提出の点であるが、前記認定のとおり、昭和五三年六月二四日付譴責処分から本件懲戒解雇処分に至るまでの間に、被告は原告に対し再々そのような趣旨の文書の提出を命じており、これに対して原告は、同年六月二四日付譴責処分による始末書は全然提出しなかったものの、それ以外の分は一応命ぜられた都度文書を提出しており、ただ、その内容が被告の命じた趣旨と全く違ったものであったため、被告の命じた文書を提出しないのと同じ結果になったものである。ところで、これら被告が提出を命じた文書は、始末書、反省文、謝罪文、質問表等その都度その文書の性格や趣旨が多少相違しているが、いずれも原告に対しそれまでの言動について反省し、以後被告の方針や指示に従い、職場規律に反する行為をしないという意思を確認しその表明を求めるものである点は共通している。これら始末書や謝罪文等の提出を命ずるのは、譴責という懲戒処分を実施するため、あるいは従業員に自己反省をなさしめ、職場規律の保持という目的を達成するための手段にほかならないから、使用者が雇用契約による労務指揮監督権に基づいて労務提供の場において発するところの業務命令とは別異の事象に属するものである。そればかりではなく、被告の提出を求めている文書は、単なる事実のてん末書というものではなく、自己の誤りを陳謝し、再び同様の職場規律違反を犯さないことを確約する趣旨のものも含まれているが、そのような文書の提出自体本人の意思に基づくほかない行為であって、個人の意思の自由を尊重する現行法の精神からいって、これを、その不提出に対し懲戒処分を加えることによって、強制することは許されないものというべきである。
そうだとすれば、原告が被告の提出を求める文書を拒否した行為は、事案に応じて一つの情状として考慮することはできても、被告の就業規則六五条(6)号にいう「業務命令に不当に反抗し職場の秩序をみだした」ことには該当しないといわざるをえない。
(4) 以上のとおりであるから、前記本件解雇理由掲記の各業務命令違反の点はいずれも本件解雇の事由とすることはできないものであり、そのほかには、本件証拠上、本件解雇処分につき、原告に同号に定める事由にあたるべき事実も認められない。
(三) 就業規則六五条(10)号の事由
(1) 原告は、前記1の(一)及び(二)で認定したとおり、宵夜勤の業務命令違反によって被告からすでに懲戒を二回受けたものであり、同条同号に定める「懲戒が二回以上に及び」に該当することは明らかである。
(2) ところで、同号に定める「改悛の見込がないとき」とは、懲戒解雇が他の懲戒処分と異なり労働者を職場外に放逐する重大な処分であること、懲戒なるものは一般に職場秩序の維持と事業の円滑な遂行という目的を達するために認められる制度であることを考慮すれば、ただ単に改悛の情を表明していない者という意味ではなく、実際に改悛の情がなく、同条の他の各号に定める各事由と同程度の職場規律違反の行為があるか、又は職場規律に服する意思がないため、将来同様の職場規律違反行為を繰り返す虞れが明白であり、職場秩序の維持と業務の円滑な遂行のために、職場内より排除するのもやむを得ない程度の情状の存することを要するものと解するのが相当である。
そこで、原告に右のような意味での「改悛の見込がないとき」に該当する事由があるか否かにつき検討する。
(3) 原告が被告の宵夜勤命令を拒否したのは、前示のとおり、兵福労及びこれに呼応した北二病棟における宵夜勤拒否闘争に同調参加してなされたものであるが、この宵夜勤拒否闘争のため、被告の園、特に北二病棟における重度心身障害児の二四時間体制の療育運営が著しく阻害されて混乱状態に陥り、危機的状況を生みだすに至ったことは既述のとおりである。
右宵夜勤の拒否自体正当な理由を欠くものであることは前記認定のとおりであるが、そもそも右のような事態を生ずるに至った大きな原因は、北二病棟で行なわれていたいわゆる「合議制」という運営体制にある。既に詳述したように、右「合議制」なるものは、被告の定める正規の病棟管理体制である係長、主任制を勝手に廃止して、病棟職員による自主的運営を行なおうとするものであり、それは要するに、被告の指揮命令系統を排除し、病棟を職員の手で自主管理することにより、被告の運営方針による療育体制と異なる、病棟職員が正しいとする療育方針を自ら実行しようとするものである。本件の砂子療育園のような重症心身障害者を療育する施設において、どのような療育方法をとるべきかについては、医学、心理学等の理論的な面とか、あるいは「障害者」や社会福祉施設のあり方についての認識の点で、人によって様々の考え方があり得るところであり、病棟職員が、療育方法についてそれぞれ独自の思想をもつことは自由であるとしても、その施設において実際にどのような療育方針のもとに、どのような療育方法を実施するかは、あくまでその施設の経営主体による正規の管理機関が定めるべきことであり、その従業員にすぎない病棟職員がこれを排除して自分たちの独自の方針を実行することが当然に許されるものではない。しかも、本件砂子療育園においてこれまで被告が行なってきた運営方針や療育方法に、特に問題や非違があったことは証拠上認められず、むしろ北二病棟が「合議制」のもとで行なった病棟の運営管理や療育方法について、疑問に思われる点や首肯しかねる点が多々あり、そのため園生の父兄からも、あるいは病棟職員の間からも、これに対する非難、批判が少なくなかったことは、(証拠略)から認められるところである。従って、被告が、右のような「合議制」のもとに、いわば病棟職員の自主管理下に置かれている北二病棟の運営体制を正常化すべく、「合議制」を廃して本来の係長、主任制による指揮命令系統の回復をはかり、被告としての療育方針にもとづく運営を行なおうとしたことは、前記認定の経緯、その他園の運営をめぐる当時の情勢からいって肯けるところであり、それに伴なって、原告らの宵夜勤拒否闘争によって同病棟の療育体制が著しく歪められ、療育業務の円滑な遂行が阻害されている状況を是正するために、被告が一連の宵夜勤業務命令を発するに至ったこともまた園の運営上必要な措置であったということができる。原告も、病棟の介護職員として、その被告の療育方針とこれに基づく業務命令には従うべきであったにもかかわらず、兵福労の主導する療育方針や「合議制」による運営方法に共鳴する余り、自分の正しいと信ずる理念にばかり固執し、これを主張して譲らず、被告の指揮命令に従おうとしなかったものであるが、その結果前述のように宵夜勤の業務命令を拒否し、そのため二度にわたる懲戒処分を受けながら、依然として自己の正当性ばかり主張し、被告の方針や処分を不当であると批判する態度を変えようとしなかった。しかも、譴責処分による始末書も提出せず、また、出勤停止命令を無視して就労したり、入構を阻止されて被告側職員と争うなどの行為に及び、更に、被告が、新たな運営方針による療育体制に原告が適応できるかどうかを試みる目的で、再々反省文や質問表回答という形で、その硬直した姿勢をあらためる機会を与えたにもかかわらず、原告はその反省文や回答書にも、自己の宵夜勤不就労は従来からの慣行に従ったまでで正当なものであるとか、被告の新たな療育及び運営方針についても兵福労や北二病棟職員の承認がない限り従えないとの従来からの自己主張を繰り返すばかりで、自らの宵夜勤就労拒否による療育運営を阻害混乱させたことについて反省し、それまでの考え方や態度を改めようとすることがなかった。
このような本件解雇に至るまでの原告の態度、行状、処分経過、処分内容とそれに対する原告の対応、殊に自己の主義主張にばかり固執し、被告の運営方針や療育体制に協力しようとする意向を全く示さない硬直した協調性を欠く性格と考え方からすれば、原告は被告の療育運営方針による職場規律に従う意思がなく、今後も被告の指揮命令に反して職場規律違反行為を繰り返す危険は明白であるといわざるをえず、重度心身障害児の療育施設である被告の園の目的からして、原告を排除するのもやむをえないところであると認められる。
(4) 以上からすると、原告は懲戒処分を二回受け、なお改悛の見込がない者に該当するので、同号の事由があると認められる。
3 したがって、被告が原告につき就業規則六五条(10)号の懲戒解雇事由があるものと認定したのは相当である。
八 再抗弁の当否
1 労働基準法一九条一項違反の主張(再抗弁1)について
(一) 同法一九条一項は、労働者が業務上の負傷又は疾病にかかり療養のために休業する期間及びその後三〇日間は、使用者において当該労働者を解雇することができない旨を規定し、解雇を制限しているが、その解雇には懲戒解雇も含むものと解するのが相当である。
ところで、右にいう解雇制限を受ける「業務上の負傷又は疾病にかかり療養のために休業する期間」とは、労働者が使用者の指揮命令下にある労働状態の際に、その労働状態に附随して惹起された負傷又は疾病によって、その療養のため当該労働者が勤務に従事することができず休業していることをいうものである。
そして原告は、被告の七月二七日付休業命令が原告の頸肩腕障害、腰痛の治療に専念するためのものであるとして、右休業命令に従って休業していた間は「業務上疾病にかかり療養のため休業する期間」であるから、その期間中になされた本件解雇は同法一九条一項に違反し無効であると主張している。
しかしながら、前記認定のとおり、右休業命令は、業務上の疾病による療養のため勤務に従事することができないことを理由とするものではなく、原告の一連の就労命令拒否に対する制裁的な意味で被告に反省謹慎させることを目的としてなされたものであるから、これによる原告の休業が同法一九条一項にいう休業に該当しないものであることは明らかであり、原告のこの点に関する主張は理由がない。
(二) また、右休業命令のほかに、被告が原告に本件解雇の意思表示した当時、原告が腰痛症等の業務上の疾病に療養のため休業している状況にあったと認めるに足りる証拠はない。
(三) 以上によれば、本件解雇の意思表示をなした際、原告が療養のため休業していたということができないので、原告は同法一九条一項の要件に該当するとはいえない。
2 解雇権濫用による無効の主張(再抗弁2)について
(一) (証拠略)によれば、就業規則六三条ないし六五条は、懲戒事由に該当する職員に対しては、譴責、減給、出勤停止、懲戒解雇の懲戒処分を規定していることが認められる。そして使用者たる被告は、懲戒事由に該当する所為の態様、原因、動機、結果、その他諸般の事情を総合考慮して、企業秩序の維持確保という見地からみて相当とする処分を選択すべきであり、その判断については、使用者の合理的な裁量が認められていると解される。
(二) これを本件について見ると、前示したとおり、原告は、被告の就労命令を積極的に拒否し、重度心身障害児の療育運営に重大な支障を与え、これによる懲戒処分を二度に亘り受け、かつ被告の新たな療育方針に従った療育運営が職員によって実施されていたにも拘らず、なんらの反省の態度も見られず、療育方針の変更も職員の承諾が必要である旨の主張を繰り返すのみで、被告の施行する職場規律に服する意思を有せず、職場秩序の維持確保という見地からすれば看過できないものである。
(三) もっとも、原告の宵夜勤拒否行為は、被告と兵福労や北二病棟との職員増員問題による対立抗争からそもそも生じたものであり、原告も組合員ではなかったものの、兵福労や北二病棟の闘争方針に積極的に同調参加していたものであるが、そうだからといって、前認定したとおり、その闘争によって、当時の夜間における療育運営の維持が破綻寸前となり、その必要な介護職員の確保が限界に近づいていた状況下で、宵夜勤可能な職員に対して被告の就労命令がだされたものであることからすれば、被告が兵福労を嫌悪する余り、組合員やその同調者を敢えて狙撃ち的に就労命令をだしたものとは認め難いところである。
なお(人証略)によれば、同女も、園長作成の同年六月下旬の勤務表で、宵夜勤の指定を受けていながら、腰痛症による通院治療を要する旨の診断書と、自己が作成した宵夜勤に従事できない旨の書面を被告に提出しただけで、一方的にその宵夜勤に就労しなかったことがあったが、同女に対しては就労の業務命令も出ず、これについて被告から処分を受けることもなかったことが認められるが、この事実からただちに、原告に対する業務命令及びこれに続く処分が、特に一部の職員だけを対象として、差別的になされたものとすることはできない。
また、原告の本件解雇を答申した懲戒委員会において、委員の一人であった園長が処分として配置転換相当の意見であったことは、前認定のとおりであるが、そうだからといって、本件解雇処分が、懲戒処分として重きにすぎるということもできない。
(四) そのほか、前認定の本件解雇に至るまでの原告の一連の所為、原告に対する処分経過及びこれに対する原告の態度、言動等諸事情を考え併せれば、被告が原告に対し懲戒解雇処分を選択したことは、合理性を欠き、裁量権の範囲を逸脱したものとは認められず、したがって、本件解雇処分が解雇権の濫用であるということはできない。
3 以上のとおり、本件解雇が無効であるとする原告の再抗弁は、いずれも理由がない。
九 雇用関係の消滅
以上の理由により、本件解雇は有効であるから、原告と被告との間の雇用契約は、本件解雇の意思表示がなされた昭和五三年一〇月一一日に終了したものといわなければならない。したがって、同日以後も原告と被告との間に雇用関係が存続していることを前提とする原告の従業員としての地位確認及び給与支払を求める請求は、いずれも理由がないことに帰する。
第二損害賠償(名誉毀損)請求
一 被告の昭和五三年一一月の公示につき
1 (証拠略)によれば、原告は本件解雇を受けた後、神戸地方裁判所尼崎支部に、被告の従業員たる地位保全及び賃金仮払の仮処分を申請し、昭和五三年一一月二四日同裁判所から右申請を認容する仮処分決定を受けたこと、被告は同月二七日にこの仮処分決定の送達を受け、同日理事長名で園職員に対し、「岩永千富(原告)の仮処分の決定通知を受けて」と題する書面を、園掲示板に貼付して公示したこと、その内容は概ね、「被告は仮処分決定に従うが、原告の就労及び入園は認めないこと、被告としてはこの決定に不満であり不服申立の手続をしたこと」、さらに「原告は被告の指示命令に不当に反抗したもので、被告としては園児の介護をまかすことは絶対にできないこと、被告は園児の生命及び生活を守り抜くためにも、最後まで原告と闘い抜く決意であること」という趣旨のものであったことが認められる。
2 しかし、右公示内容は、右仮処分決定に対する被告としての考え方及び採るべき態度を表明しているものにすぎず、原告の名誉を毀損するものとは認められない。もっともその内容中には、原告が被告の指示命令に不当に反抗するような人物であるから、原告に園児の介護をまかせられないといった原告の人物に対する非難の言葉もあるが、既述のような対立抗争の過程で、右仮処分決定を受けた被告としては、対抗上この程度の意見を表明することは格別不当とはいえず、まして前記第一で既に認定説示したとおり、前記宵夜勤拒否闘争により原告が被告の業務命令を拒否したことは不当であり、これをめぐる原告と被告との対立抗争については非はむしろ原告にあって、一連の懲戒処分及び本件懲戒解雇も正当と認められる以上、右公示の記載内容も正当であったことになる。その用語及び表現についてみても、殊更に原告の人格や感情を傷つけるものとも認められないので、右公示の記載をもって原告の名誉を毀損したということはできない。
二 被告の就労拒否及びその際の言動について
1 (証拠略)によれば、原告は、右仮処分決定を得た後も、賃金の仮払は受けているものの、被告が原告の就労を拒否していたので、日祝日を除く毎日被告の園に行って自己の就労を要求していたが、昭和五四年四月二四日頃、やはり、原告が園に来ていてたまたま見かけた園生の介護を手伝おうとした際、被告の八田労務課長がこれを見とがめ、原告に対し、「泥棒みたいに人の目を盗んで中に入るな」「泥棒みたいな真似をする」等といって、園外に退去させた事実のあったことが認められ、他にこれに反する証拠はない。
2 ところで、従業員地位保全の仮処分は、それ自体で具体的な就労を請求する権利が発生するわけではなく、相手方に任意の履行を求めることしかできないものであるから、被告が原告の就労請求を拒否しても、このことをもって違法となるものではない。
また、右仮当分はあくまで仮の地位を定めるものであり、これによって原告が実体的にも雇用契約上の権利を有していたことになるわけではないから、既に認定したとおり、昭和五三年一〇月一一日をもって原告と被告間の雇用関係が終了した以上、その後被告が原告の就労を認めず、入園を拒否したことをもって違法とすることはできず、右のように入園した原告を退去させる際、被告側において、原告に対し、右認定した程度の言動をとったとしても、その場の状況からいって、原告の名誉を毀損したものとは認められない。
三 以上によれば、原告の主張する被告の不法行為は、これを認めることができないので、原告の損害賠償請求は理由がない。
第三まとめ
よって、原告の本訴各請求は理由がないので、これを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 高橋史朗 裁判官 安藤宗之 裁判官 松尾昭彦)